依存列車
“私は私を辞めたい。もう何周目なんだこれは。最初こそは緩急や景観を楽しめてたのに。やだ、降りたい。こんな刺激は求めてない。もう散々泣いてるし、吐いてる。吐瀉物浴びながらこのジェットコースターのような人生やめたい。自分にとても疲れた”
無料のチケットが無限にある。一人で過ごすのもままならない
惰性で乗り続けてしまうな
余裕がない。頑固。我慢が足りない。無計画。無鉄砲。人から散々言われてるのに直せないで現在に至る。正論をいろんな人に聞きながら立ち直れている
そして人が寄り付く訳がない。どんなに言っても改善もされない。居心地も悪い。椅子はとてもかたくて、乗ってるとケツが痛くなり、車輪は今にも外れそう。そんな列車一体誰が乗るの?
“安全は確保されました”
目的地が決まってない
いつも抜け道だけは必ず見つけ出せていたのに
自分で自分の首を締めてなお、それでももがくから今度は人の手を借りてまでして。誰にも迷惑かけたくない
“ストレスフリーなオアシスを見つけました”
嘘おっしゃい。そんなのどこにもなくて決めるのはいつも自分で
ストレスだと信じたり感じたり決めたりしたらそっからストレスがはじまるだけ。そもそもないんじゃないか。摩擦が怖いなら、すぐにいつもみたく逃げたらいいでしょ?
嗚咽、呼吸困難が当たり前にするから、そこをまたここを居心地のよい住居にしてしまうのか。これから出会うであろう一人一人の人間。すごいわくわくする。未知との遭遇。どんな見た目でも構わない。男女なんかでもはや見てない。生物として常にみてる
小学生や中学生が読む教科書でも私はまだ無邪気に感動する
“これのことを言ってたんだ!おぉ!すごいな。へぇー。なるほどなー”
赤子のようなおばあちゃん。おぉ、いつまでも若々しいですね
皮肉でもなく単純にそう思っていたけど、あれは生まれ持った天然もあるだろうけど、痴呆だったんだとあとから理解する
“もっと自分を大事にして愛してください。甘やかすんじゃなくて愛するんですよ”
判断材料すべて出揃う。こんなそもそも不器用だったけか。それなりにやれてそれなりにこなせてたのに。もっと自分に興味を持ってみたい。自分を責めてるとなんだか楽だ。拷問をしよう。人を責めるよりだいぶ楽だ。息苦しい。当たり前だ。もっと価値を下げてみよう。つらい。当たり前だ。私を私で認めてない。肯定するより、否定が居心地よくしてしまってる
“なんで産んだの?産まなくてもよかったのに”
耳栓をして母親の癇癪も聞かなかった、中学時代
彼女は彼女なりに自閉症の兄と必死で生きようとしていた
もちろん私には見向きもされない。彼女に余裕はない。干渉が照れ臭くて言わなくてもわかってるから。大丈夫だって。それをこっちも望んでたはずだ
“育て方が悪かった、すべて私のせい”
が母親の口癖になり。私も兄だけどお姉さんみたいに振る舞うことで近所となんとか成り立っていた
“偉いね”
それが言われたかっただけかもしれない。私は私で存在理由を小学生の頃から模索していた。母親が読んでるオレンジページをみながらクッキーを焼いてみる。いろんなお菓子を作ってみる。家事を手伝ってみる。選挙カーにひたすら手を振ってみる。給食を残さず食べた。カレンダーの裏側に鉛筆で一生懸命模写をした。おばあちゃんには褒められた。母親は見向きもしない。テストでいい点をとってみる。褒められない。まだ満たされない
鼓笛のドラムに入ってみる。覚えが悪いから、教えてくれた男の子に茶化され馬鹿にされた。女バカ三人先輩に女子トイレに呼び出されリンチをされる。私が一重で目付きが悪かったらしい。顔面が残念だったらしい。はなから眼中にないのにボコボコにされる。別にいいや。下等生物め。先生に言うなに怯えてたので真面目に受け取る。占い本が不調ならその日は休んだ。近くのレストランで美味しいコブサラダを有り金はたいて食べて帰った。健全な保健室登校。いじめてたボスみたいな女は大人になってから報復した。というかその当時やっていた事実を大人になってから伝えただけ
逆に不良になってみる。悪いと言われる人に歩み寄った。こっちの方が母親はなぜか興味を持ってくれた。泣いてくれた。少し嬉しい。薬を大量に飲んで、救急車に運ばれてみる。意識がなくなりつつあるので、保健室の先生に「この薬を何錠か先ほど飲みました。救急車を呼んでもらっていいですか?」とまで職員室に行き息切れながら丁寧にお願いした。その保健室の女の先生は救急車の中で手を握ってくれた。でも違うなと思いながら、気づいたら病院で口の中に透明チューブを差し込まれてて、自分が飲んだ錠剤の色を確認しながらゲェーゲェー吐き出していた。オモロ
みんなが校庭で写生をしてるのに、森のなかに入っていい感じの首吊り場所を見つける作業に没頭。縄も買う。チャイムが鳴ったのでアホらしくてやめた。適当な絵を提出する。とてもめんどくさがりだ。その森に入る前にのちに大人になって作家になった男の子とも森に行く前に話をする。私は二十歳になったらお茶汲みOLをして嫌いな上司に雑巾の絞り汁を淹れてから、死ぬ予定だったんだってば
“まぁね、そんな日もあるさ”
自殺を止めはしないけど、助言だけはしてくれてた。今でも画廊を持って芸術を爆発されてる。Facebookでもいいね。だけはしてくれてるだけの関係だけども嬉しくなった。中学の頃からそのスタンスは変わってなかった
裸足でおもむろに家出をしてみる。村中の人が私の遺体になってるであろうものを探してくれた。変な棒を使って家の庭をつついてくれた。近所に霊媒師がいたらしく
“娘さんは体育座りでどこかの体育倉庫で震えてます、生きてますよ”
確かにそうだった。バレないようにどこだかわからない体育館倉庫にたどり着いてなんとか寝た。外はパトカーが見回りしてたけど必死に身を隠していた。汗臭い体育マットみたいなものを寝床にした
大丈夫。まだ私は私。さっきマグカップと箸を洗ったのですが、まだ図々しくも依然、私は私を消せないでいる
外は午後はいい天気だったのに雪が溶けて雨になってきてる